グノーシスとは何か

全体図および関連概念


グノーシスについて

プロティノスの「グノーシス派に対して」の論には、プロティノスの主張と大いに異なる、かつ特異的な表現を伴う理解し難い概念が現れる点に興味が惹かれる。このグノーシスに対する記述を理解するためには、グノーシスについて知らねばならない。ところが、グノーシスについては、幾多の記述が錯綜していて、いかにも全体像が捉え難い。このようにグノーシスに係る話が複雑なのは、グノーシスが単なる一宗教ではなく、キリスト教史の初期に存在した様々な宗教あるいは哲学と、これに依るキリスト者の立場表明が絡み合っていることによる。そのためグノーシスについては、それを語る人による違いが大きすぎて、グノーシスが何であるかが明確に示されることはなかった。ところが、近年(1945)ナグ・ハマディでコプト語で書かれたグノーシスの諸文書(ナグ・ハマディ文書)が発見されて、グノーシスに対する理解が大いに進んだと考えられている。

このナグ・ハマディ文書は単に初期キリスト教徒が参考にしていた文書群であり、グノーシスそのものをを伝えるものではないが、グノーシスがキリスト教のカウンターではなく、独自に発展してきたもの、あるいは東方から伝わってきたものであることが示されたのだ。このような研究進展を受けて、やっと、1966年4月にイタリア・メッシーナ大学で開催された、グノーシス主義研究者たちの「国際コロキウム」でグノーシスを定義する、通称「メッシーナ提案」が提案されて採択されたのである。このメッシーナ提案において、「紀元2世紀から3世紀頃のキリスト教グノーシス体系を『グノーシス主義(Gnostizismus)』と定義し、より広い意味での『秘教的知識』の歴史的カテゴリーを「グノーシス」と定義したのだと(Wikipedia:グノーシス)。

プロティノスの「グノーシス派に対して」の論に現れる概念については、どうしてもインド哲学を想起せざるを得ない。そこで、両者の関連性について探求してみた。目的は何らかの方法で、両者の関係性を定量的に示すことである。

この後、プロティノスのグノーシス駁論とインド哲学との関連については、取りまとめて、「プロティノスのエネアデスII-9 グノーシス駁論にみられるサーンキヤ学派の徴候について, The Basis 武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要, 第5号, 2015.3, pp189-201」として発表した。



参考文献など

1. グノーシス、筒井賢治、2004、講談社選書メチエ
2. グノーシスの神話、大貫隆、2011、岩波人文書セレクション
3. グノーシスとはなにか、マドレーヌ・スコペロ、1997、せりか書房
4. グノーシス主義の思想、大田俊寛、2009、春秋社
5.  Kak, Subhash, Greek and Indian Cosmology: Review of Early History, History of Science, Philosophy & Culture in Indian Civilization, vol. 1, part 4 (A Golden Chain, G.C. Pande, ed.), pp. 871-894, 2005.
6. A.A.Macdonell, A History of Sanskrit Literature, 1900, 423-424

グノーシス

わが国におけるグノーシス理解

ということで、まず読み易い日本語からということで、我が国ではグノーシスがどう捉えられているか、図書館で手近なところをあたってみたところ、参考文献にあるものが見つかったのでマッピングしてみた

上記の筒井の解説書は、グノーシスの概略を述べていて、参考になるのだが、面白いのは大田の論である。

大田は、「今日におけるグノーシス主義をめぐる言説は、ロマン主義的な捉え方と文献学的・歴史学的実証主義に基づくものに大別されるが、グノーシス主義という対象を前にして、いずれも限界に突き当たっている…特に日本の研究においては、代表的な文献学者たちが、グノーシス主義の思想を「自己実現」の物語と捉えるユング的解釈を大枠において受容してしまっている」と述べてさらに、「荒井においては、グノーシス主義とは、自己の本質を忘れて悪しき世界へと転落した人間が、本来的自己が究極的存在と同一であることを認識し、上なる世界へと帰るということを基調とした宗教思想である、ということになる…このような見解は、荒井の後継者である大貫隆の研究においても受け継がれ…大貫と荒井は「詰まるところグノーシス主義とは何か」という大きな問いを前にすると、ほとんど無防備にロマン主義的宗教論を受容してしまう、という傾向を持つ」と批判する。

さらに大田は、「…現代日本の代表的なロマン主義者の一人とみなされうる、中沢新一のグノーシス論もその例に漏れず、グノーシス主義に関して実際には氏がほとんど無知であり、いくつかの入門書や事典の記述から得た浅薄な知識をもとに、そこから自分勝手な連想を繰り広げたものにすぎないことに気づくのに、それほど時間はかからない」などと容赦のないコメントをしている。

中沢新一の中身については彼自身が、「中沢新一語録」@nakazawa_quotes‬として、「グノーシス思想があきらかにされることによって、人類の思想としてのキリスト教の可能性は、ずっと豊かなものになったのである。~『常識に抗して書かれた福音書』」17:43 - 2013年1月12日‪、などと確かにロマンティックなツイートをしていて、大田の中沢新一評に、全く同意せざるを得ない。

という訳で、手近なグノーシス解説では、プロティノスのグノーシスに対する考え方を知るための手がかりには、全くならないことが分った。


プロティノスの云うグノーシスとサーンキヤ学派

グノーシス主義とインド哲学との間に何らかの関係があることが推測されることは既に述べた。両者の関連を述べる前に、まず最初にギリシアとインドが全く別の物であるという素朴な思い込みを排除しなければならない。古くはアレクサンダー大王がインドに入る直前であるヨーギに出合って故国へ引き返したという話があるが、その他にも、ギリシアのセレウコス朝に仕えたメガステネス(紀元前4世紀末頃)が、セレウコス朝とインドのマウリヤ朝の間で協定が結ばれた後、使者としてマウリヤ朝へ赴き、チャンドラグプタ王に何度も謁見し、10年ほどもかの国に滞在して、当時のインドの内情を記した『インド誌』を著したという記録があるように、あるいはギリシア人のインド王朝(インド・グリーク朝)が、かつて存在していたことが知られているように(「ミリンダ王の問い」などは著名な例である)、ギリシアとインドの交流は決して浅いものではない(S. Kak, 2005)。

その他にも、例えば以下の論述、「2〜3世紀のグノーシス主義がサーンキヤに影響を受けているのは間違いない、殊に、魂と物質の対立概念その他はサーンキヤ学派に由来している(The influence of Indian philosophy on Christian Gnosticism in the second and third centuries seems at any rate undoubted. The Gnostic doctrine of the opposition between soul and matter, of the personal existence of intellect, will, and so forth, the identification of soul and light, are derived from the Sānkhya system.)」を述べたのは、A.A.Macdonell (1900)である。

まず、プロティノスは、グノーシスがこの世は誤って作られたものであると主張していると述べ、これへの反論として、

「それに、過ちを犯したのは、いつのことなのか。というのは、もし永遠の昔からであるならば、この魂は、彼ら自身の言い分によって、(1)今なお過ち続けているわけである」であるとか「つまり、この世界は直知界の模像にすぎないのに、彼らは(2)これをかの世界と同一のものでなければならないと要求しているわけであろう」や、「彼ら自身は、一般の人間がもっているような肉体をもち、欲望、苦痛、怒りに妨げられながらも、自分たちの力を決して軽蔑しないで、自分たちには(3)直知される(世界)を把握することができると主張するくせに、他方において太陽の内には、彼らの力よりも情念に煩わされることのより少ない、より秩序あり、より変化の少ない力が存在することを否定するとは」あるいは、「彼らは、一方において、(4)かの所の秩序と美しい形と整然さとを目のあたりに眺め、他方において、ここ大地の周辺の無秩序ぶりを彼ら自身だれよりも口やかましく非難している」などとグノーシス派を批判的に述べているのであるが、これは、逆に見るならばグノーシス派の主張を述べているのである。

すなわち、グノーシス派の考えとは、人間は輪廻の中にいて苦しみ続けるということである(1)と述べているし、輪廻はこの世だけではなく六道を巡るものである(2)し、苦しみの原因を正覚することが解脱の第一歩である(3)し、「彼岸」と「穢土」がある(4)としていると、プロティノスは紹介するのである。

さらに、ヌースについて、プロティノスが、「彼らはこの意味を理解しないで、第一に(11)静寂裡に自己の内にすべての有るものをもつヌースと、第二に(12)これとは異なるもので観るヌースと、第三に(13)計画するヌースとがあるのだと解釈した」と述べていることで、この三つのヌースが、インド哲学の基礎である、アートマン(11)、ブラフマン(12)、そして権化(13)であることは容易に関連付けられるのである。

また、プロティノスの記述にある、「(世界の)原型は彼らによれば、(14)その制作者がすでにこの世界へ傾いたときの産物なのである」の、「傾いた」あるいは「迷った」という語を伴う不可思議なグノーシスの論の説明は、サーンキヤ学派における、精神原理が原質を観照することによって、原質を構成する三つのグナ、すなわち純質、激質、翳質の平衡が失われて、原質の開展が始まることにより世界が形成される、という説明とよく合致するのである。


プロティノスのグノーシス駁論の分析 (2014/5/18)

プロティノスのグノーシス主義に対する反駁を述べた、エネアデス「グノーシス派に対してII-9」においては、「彼ら」という明示的な指示語(訳者が補足した部分を除く)を使ってグノーシスに論及する文節と、「彼ら」という指示語は使われていないが、暗示的にグノーシスを論ずる文節がある。まず、この指示語を手がかりに、プロティノスの記述を以下のように分類する。

(1) グノーシスと無関係な記述

例えば、「というのは、彼ら(天球)の身体が火に類するものであるとしても、それは全宇宙および地球に対して適切に釣り合った状態にあるのだから、恐れる必要はない。むしろわれわれは、彼らの魂に注目すべきである」という文節にある「彼ら」は、「天球」に対する人称代名詞の形式をとった指示名詞であり、グノーシスとは無関係な記述であると考えられるので、本論ではこれについてはこれ以上言及しない。その記述の総個数は16である11)。

(2)グノーシスをプロティノスの立場から批判する記述

「彼ら」は確かにグノーシス主義者を指しているのであるが、文節はプロティノスの立場からグノーシスに対する反駁であり、ここから逆にグノーシスの考えを或る程度推定できる。例えば「もし人々が少ないものを置くならば、彼らは、魂とヌース(知性・精神などを意味するギリシア語)とが同一のものであると主張するか、それともヌースと第一者とを同一のものとするか、どちらかであるだろう」という、プロティノスの記述(1-18)からは、「グノーシスが始原を認めるならば、魂とヌース、あるいはヌースと一者の誤った同一視がある、つまりグノーシスは始原が一者ではないとしている」なる、グノーシスの考えが推定できる。このタイプに分類された記述とその関係は図1に示される。その記述の総個数は26である。

(3) グノーシスを直接的に主語とする記述

グノーシス駁論において、「彼ら」という指示語を用いてグノーシスを論駁する文節がある。例えば、「さらに、彼らがあのような第二の魂を—彼らが諸元素から合成するところの魂を—ひそかに持ち込んでいることも、不合理である」という記述(5-17)は、「グノーシスによれば、諸元素から新たな魂が合成される」と読み替えることができて、このタイプに分類された記述も図1に示される(e.6(5-17)のよう示した)。その記述の総個数は62である。

(4) グノーシスを直接的に主語としない記述

プロティノスのグノーシス駁論には、グノーシスを直接的に主語にしないが、明らかにこれに論駁を加える文節もある。例えば、「さらにまた、直知するヌースと、直知することを直知するヌースとがあるという理由で、ヌースを複数化することもできないであろう(1-32)」とあり、これは「グノーシスでは、直知するヌースと、直知することを直知するヌースがある」と読み替えることができて、この記述も図1にi.2 (1-32)のような記号とともに示した。その記述の総個数は12である。


グノーシス駁論にみられるサーンキヤ学派の徴候

プロティノスの述べたグノーシス駁論をマップにより図1のように表現すると、マップはさらに三つの部分に分けられることがわかる。これを図1にサブ・マップA〜Cとして区分して示した。すなわち、サブ・マップAが、プロティノスが論駁したグノーシスの考え、特に世界が如何に創造された(展開された)かを表した部分であり、サブ・マップBが、プラトンの後継者であることを自認する、プロティノスの立場からみた、グノーシス主義に対する批判、そしてサブ・マップCが、プロティノスの立場から見て、神と世界霊魂とについて、如何にグノーシスが無知であるかについての批判である。 即ち、このサブ・マップAがグノーシスの考えを示していると考えられる。そこで本論では、このサブ・マップAについて、対応すると考えられるサーンキヤ詩、あるいは中村(中村,1996)が解説するサーンキヤ学派に係る説明との関連について論ずるものとする。

世界の創造に係るグノーシスとサーンキヤ詩との対応関係について

上に述べたサブ・マップAにおける世界創造の順序を、サーンキヤ詩とその解説(中村, 1996)が述べる世界創造と輪廻とを並列的に示したものが図2である。図中にはサーンキヤに係る記述の位置を3.3.(1)のように示した。これは(中村, 1996)の第二編の)第3章の三の(一)中の文節であることを表す。世界創造に係るマップは、さらに、以下のセクションに分割できる。そのそれぞれについて、プロティノスの記述とサーンキヤ学派あるいはサーンキヤ詩の述べるところが対応することを以下に示す。

(1)ヌースと二つの原理

サーンキヤ哲学体系においては、二つの永遠なる実体的原理が想定されており、既に述べたように、一つが根本原質(プラクリティ)であり、一つが精神原理(プルシャ)である。プルシャは何ら活動することなくプラクリティに無関心で、ただそれを観照するだけである。一方、プラクリティは三つの要素(グナ)で構成されていて、その三者とは純質・激質・翳質であり、これらから世界が開展される。

この二つの原理について、プロティノスは、「始原は複数であり、直知するヌースと直知することを直知するヌースがある」と述べ、プラクリティとプルシャについて「最初にあるのが自己のうちに全てをもつヌースであり、第二にこれを観るヌースと第三に計画するヌースがある」、「グノーシスは計画するヌースの代わりに『創造する魂』を置く」と述べる(第三のヌースに対応するものについては後述する)。 また、プラクリティの原質であることとその変化、およびプルシャの無活動について、プロティノスは、「世界の形相はその魂の内にある」、「ヌースの状態には、沈静、運動、進行があり、無為と仕事の役割がある」と述べて、サーンキヤとの対応が支持されるのである。

(2)世界創造の開始

世界創造の開始について、サーンキヤは以下のように説明する。根本原質(プラクリティ)は、の三つの構成要素(グナ)である純質・激質・翳質の三者は、相互に平衡状態にあって静止しているのであるが、精神原理(プルシャ)がプラクリティを観照したとき、三者の平衡が破れて活動状態となり、世界の開展が開始される。ただし、サーンキヤ哲学の目的は精神原理あるいは自我意識の解脱であって、その始点は重要視されていない12)。 これに対してプロティノスは、「既に存在していた素材が照らされることにより世界の創造が始まった」、「魂が傾き、これと同時に魂を構成する知恵も傾いたことにより世界が始まった」、また、「グノーシスは逸脱(誤り)の原因・時期は述べない」と言うのである。

(3)世界の展開

世界創造が始まると次々に開展が続く。サーンキヤによれば、根本原質から根源的思惟機能が生じる。根本的思惟機能が最初に出現し、これがさらに開展することから、これが前述の「第三のヌース」に対応すると考えられる。次に、この根本的思惟機能がその中に含まれている激質によってさらに開展を起こし、その結果として自我意識が生じる。次に、その自我意識から、その中にある激質の力によって二種類の創造がなされる。一方では(人間の)十一の器官が生じ、他方では五つの対象領域の微細要素が生じる。根源的思惟機能・自我意識・五つの微細要素によって微細身が形成され、肉体が滅びた後にも永続的に存在し、輪廻の主体となる。 これに対してプロティノスは、「始まりは既に存在した静的なものに始まり、創造者自身の状態が次々に変化して世界が創造された」とサーンキヤの順次的な世界展開を支持する。また、「諸元素から新たな魂が合成される」、「合成された魂にさらに知覚、熟考、その他が付与され」、「知恵を構成する部分も現れ、人間の肉体をまとうことになった 」と述べるのである。ただし、プロティノスの「(世界創造にあたって)火が最初である」という記述がサーンキヤと関係があるかどうかは不明である。

(4)魂の帰還

サーンキヤ詩39に、「それらのなかで、微細なもの(五つの微細要素からつくられた微細なる身体)は[世界の創造から帰滅に至るまでのあいだ]つねに存在し、父母の所産は[死後に]消滅する」とあって、肉体は消滅するが、微細な身体は輪廻を続ける。最終的には根本原質は解脱するのであるが、サーンキヤ詩68に、「[精神原理が]身体から分離されるにいたり、目的が果たされたのであるから根本原質は活動を停止する。そのときに[精神原理]は決定的でかつ究極的な独存[解脱]に達すると述べられる」。

またあらゆる被造物は三種のグナに起因するものであり、これをサーンキヤ詩54では「[神族の最高位にある]梵天をはじめとして、[動植物の最下位にある]草束に至るまでの被造物は、上方では純質が優勢であり、下方においては翳質が優勢であり、中間においては激質が優勢である」と述べる。 これに対してプロティノスは、「グノーシスにとってこの世は仮の世であり、また別の世が用意されている」と表現し、「行くべき世界の原型は、最初に傾いたときの産物である」と述べ、「世界の創造の魂は個々の魂が帰ってくるのを待っている」とするのである。

グノーシス駁論とサーンキヤ詩との関係を「否定するものではない」という結論

さて、本論は、プロティノスが論駁したグノーシスが、サーンキヤ哲学をたとえ部分的にせよ継承すると自らを考える、思想グループであったことを示そうとするものであるが、その追求はプロティノスの眼を通したものである以上、間接的なものであり、これのみで両者の関係を証明することは不可能であろう。 一方、両者の対応関係がサーンキヤと全く無関係に成り立つ、ことが可能かどうかという点については、幾分かの情報は得られるのであって、例えば、プロティノスの時代にローマと緊張関係にあったペルシャで盛んであった、ゾロアスターを取り上げてみよう。プロティノスが論駁したこのグノーシスの論は、善悪二元論に立っていないという点からみて、明らかにゾロアスター、あるいはゾロアスターを起源とすると考えられるマニ教とは無関係であることが分る。

即ち、ゾロアスター、マニ、その他プロティノスの時代に存在したであろう様々な哲学・宗教と、この駁論との対応関係を調べれば、その相対的な近似の程度は計れるのであって、現在に至る当時の文献資料が限定されていることを考えに入れれば、これまでに述べた、プロティノスの論駁するグノーシスとサーンキヤとの関係を、「高い確信を持って、これを否定するものではない」という結論に至ることができるである。


グノーシス駁論に見られる気付き

これまでの議論は図1のサブ・マップAについて述べたものである。サブ・マップBは、プロティノスの自己の信条によるグノーシスに対する批判であるが、サブ・マップCについては、幾つか興味深い事柄を発見することができる。例えば「自分たちが病気から守ることができるということなどは無意味である」というプロティノスの批判は、プロティノスの周辺でグノーシスが、病気から信ずるものを守ることができると言っているということであり、結果として、この言説は、彼らを信ずる人びとが一定数存在することを示すものである。

また「グノーシスが、かの世界に対して呪文により説得を試みるのは誤りである」という記述は、グノーシスが、サーンキヤではなく、例えば、サーンキヤ学派と密接な関係にあるヨーガ学派14)の態度、例えば「ヨーガ・スートラ、第二章、(一)の注解『…学習(読誦)とは、聖音など浄めの文句を唱えること…主宰神を専念することとは、一切の行為を最高の師のうちに向けること…』(中村,1996,183p)」を想起させるものである。ただし、考察をヨーガ学派まで広げることは本論の範疇を超えている。

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