就職活動が就活なら、生きる糧を探すのは生活か?確かに生活かも。このページは新たに生活の糧を探して活動する私の日記だ。で、生活日記とはあまりに一般的だから、とりあえず稼ぐための活動ということで、タイトルを稼活とした。ただし、そうこうするうちに、稼活、就活どころか、終活の方がふさわしくなって来たので、終活の話の方がメインになりそうだ。

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稼活日記

arw 獲らぬ狸の皮算用(2009/10/20)

さて、定年までのカウントダウンが始まって後、僅か。知り合いを訪ねて、心構えやら稼ぎの手ほどきやらを聞いて回ることとしている。なかでも成る程とメモを取ったのは、人を雇うような会社を目指さない事(うまく行かない時が大変だから)、請負仕事をする事(アルバイトで自分を安く売るな)、人を頼れ(きちんとマージンを支払い、あるいはマージンを得よ)、等のアドバイスだ。確かに、アルバイトならなんて私の発言そのものがいい加減で、相手に誤解を与えていた。

もちろん、請負だからといって多額の儲けが保証されているわけではない。先ずは請負仕事で一万円以上の利益を出す事が目標だな。これが実現するまでは全て、獲らぬ狸の皮算用であることに注意すること->自分。 arw

arw コミュニケーション能力(2009/11/6)

朝のNHKテレビだったか、大学三年生の就職活動の今時を取材した番組を放送していた。チラ見(こんな言葉が正しいかどうかは分らないが、ガン見という言葉が流布しているのを見聞きするにつけ、あってもよいかと)だったけれど、ひっかかったのが、大学で就職活動のための専門講座を設定しているという話と、就職活動のハウトゥーを教える家庭教師がいるという話だ。かなりの違和感を持った。

この二つの話は就職活動における局所的な最適解を求める活動を紹介するものなのだが、その局所的な最適(日本の都市部のホワイトカラーという空間的局所性とここ数年間は業績安定を予想される時間的局所性)を追求しているゆえに、会社員という活動そのものが存在する文脈(一生と言わないまでも、年金や退職金やその他フリンジベネフィットを得るためには十分な長い年月の間、特定企業に所属する必要があるという時間的文脈や、会社活動がグローバル化するに従って勤務場所が世界各地に変わる可能性があるという空間的な文脈)にかなりの程度矛盾しているように思えた。思った故に違和感を感じたわけだ。

例えて言えば、数年前までは学生の就職先としてJALの人気が高かった。つまり学生からみて最善の就職先であったので、JALの就職試験に合格するためにあらゆる手段を用いるという局所的な最適追求が、就職を目的とする学生にとっては最善の解であったわけだ。で、数年経つと、業績不振があらわとなって、未来の業績は確実なものではないという、企業という活動のもつ時間的性質や、人員整理によって配転あるいは解雇が起こるという企業に属する労働者に内在する空間的性質があらわになって、局所的最適解であったものが不都合な結果となったのだ。もちろん番組では、このあたりにも配慮があって、特定企業に対する最適就職活動の紹介の他に、コミュニケーション能力が大事である、というような話も織り交ぜたあった。だが、コミュニケーション能力等は人間活動の基本なので、本来、就職活動のために教えるような話ではないのだ。

ま、ここまでが今日の前振りで、我が身を振り返ればコミュニケーション能力についてはまだまだ不十分で、それを自覚してこのところ改善を試みている。例えば社会におけるファーストコンタクトにおける重要な要素は見た目である、という事実があるので、このあたりは着るものに気を遣うこと、実際にはAOKIの吊しスーツからの脱却、UNIQLOの活用など、金のかからないところから始めた。どういうことかと言えば、AOKIのスーツ・ジャケットはメタボのオヤジが主たるターゲットなので、メタボオヤジの外見が見苦しくならないようにデザインされている。一方、UNIQLOは裕福ではない若者が主たるターゲットなので、色使いを工夫することによって少しでも見栄えがよくなるように品揃えされている。で、この二つのブランドを比較しながら自分はどうあるべきかを考えるようにした、ということだ。近頃はこのステージを終了して、+J、GAP、ZARAなんぞに行くようになったので、進歩があったと自己判定している。先日は、ZARAで黒のパーカーとカーディガンを購入したのだ。 arw

arw 再雇用(2010/3/17)

ご存知の通り、2004年6月に「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の一部を改正する法律」が成立して、すべての企業に平成18年4月1日から段階的に65歳までの雇用を確保する義務が課せられることになった。まあ年金制度の設計のいい加減さというか、誰もネガティブな未来を見たくないという理由で、能天気な将来見通しをベースにした制度だから仕方がないというのか、今さらどうにもならない。私より若い世代はもっとどうにもならない。

私より若い世代については別項で述べる事になると思うが、基本的にご愁傷様と言うよりほかないであろう。申し訳ないとも思っている。さて、私としてはこれ以外にもこの法律には問題があると思う。それが、上の法律の「雇用を確保する義務が課せられる」の部分だ。これはつまるところ、60才の定年を迎えた者は仕事の能力に係らず国が年金を払う代わりに金を出してね、ということに他ならない。従って会社としてはリスクを最小にするために、この法律に従って定年を迎えたものを最低限の給与で雇うこととなる。私の会社もこの通りで、定年を間近に控えた私は上司から呼ばれて、この再雇用システムを受け入れるかどうかについて聞かれたのだ。勿論その場合に私のポジションは会社の一番下となるのだ。

さて、最下層の位置とはいえ、日本の会社であるから上司と元同僚が掌を返したように、最下層の人間をこき使うことはない。扱いに困惑しながらも今までとなるべく変化のないようにと、つき合ってくれるだろう。だが、会社システムというのは基本的に友愛をベースに活動しているものではないから、社内の規程に再雇用者は一番下のランクであることを明示している通り、再雇用者は決して管理や方針の決定に与るものではないのだ。仕事がどうであろうと給与をくれるんだから良いじゃないか、高年齢雇用継続基本給付金も付くんだし、という声も聞こえてくる。

で、私自身どういう決断をしたかと言えば、この再雇用によってサラリーを確保する道を断って、自分で勝手にこれからの生活をまかなうこととした。一つには自分の健康状態と係累から想定した生存期間、経済状態、その他を考慮した結果だ。会社の最下層で生きるのは嫌だという見栄も大きな要素だ。で、決断した後で気付いたのだが、決断の影響が最も大きかったのが、自分自身の潜在意識に対してであろうと思われる。口では決断を述べ、頭では納得したとしても、楽な道を断ってしまったという、内心の不安と動揺は簡単には治まらなかったということだ。私の場合、自分自身の決断に自分が納得するのにゆうに一ヶ月以上の期間は必要だったのではないか。

決断したので、失業保険をもらう、いや今まで給与から差し引かれたものを取り返すつもりだったのだが、先輩の話を聞くと今、予定している短期の請負仕事をこなしつつ、失業保険金を受け取るのがかなりキビシいようだ。実際に保険事務所に言って話をしなければ確定しないようなのだが。 arw

arw ハローワーク(2010/7/10)

さて、失業保険を受け取るにあたって、どんな手続きが必要になるかは、迂闊にしてよく知らなかったと言わざるを得ない。いや、得ないなんてそんな大層なことじゃないんだが。受け取りには煩雑な手続きが必要だとわかっただけだ。早い話、政府が金を出す場合に官僚はできる限り自分に責任が及ばないように着実にステップを踏む必要がある。と官僚は考えた結果だ。つまり、金をもらうには、毎月、認定日と称されるに日にハローワークに出頭して、就職活動を行ったエビデンスを明らかにする必要があるのだ。念が入っていることにこのエビデンスが二つ必要となる。その他にアルバイトをしているかどうか、していたならばその時間数アルバイト代がどれほどか、が問われる。

なぜ時間数が問われるかと言えば、基本的に失業期間中にテンポラリーな仕事をすると、その分の失業給付が停止されるからだ。停止というのはある設定された失業給付対象期間の間、アルバイト日については失業給付金を支給しないということだ。ポイントはこの失業給付対象期間より失業給付金支給日全体の長さが短いことで、ある程度のテンポラリーな仕事が失業期間中にあることが想定されていることを言っている。また、テンポラリーな仕事つまりアルバイトに関わった時間が問われるのは、ごく短時間のアルバイトについては、アルバイト代が僅かであると想定されるので、可哀想だから失業給付金をあげるね、ということである。ま、見方を変えれば、きめ細かくかつなるべく公平になるように失業給付が行なわれうシステムとなっていて、こんなに細かな作業の担当者はホントにお疲れさまと思う。

で、そのエビデンスの一つがもちろん求職活動で、ハローワークの検索端末で探した会社にいくつかアプライしてみた。結論から言えば残念な結果だ。残念な結果だったので、くさってしまう。という程のことはないので、暫く、つまり失業給付金の出る間は素直にハローワークで職を探し、アプライし、エビデンスとしてこれを提出して、給付金を有り難く頂くことにしたいと思っている。

p.s. (2010/9/17) その後、どうなったかと言うと、ハローワークの検索で紹介してもらって3社程アプライし、3社とも残念な結果となった後、こっちの気持ちも残念になったので新たにアプライするのは中断して、大人しく失業保険をもらい続けている。一つは昔の仲間で会社作ろうかという話が持ち上がったこともあるのだ。 arw

arw LLCを立ち上げようかと(2010/9/17)

昔の仲間で会社を作ろうかなんて話が持ち上がって、じゃ調べようということでLLPとLLCのどちらかが良かろう、やっぱりLLCの方か。おー、じゃ夏の終わり位には。などという話が弾んだが、それ以上には進展をみせないままにもう秋口となってしまった。

なぜかと言えば、仲間の一人がまだ再雇用されている立場で、再雇用のままではその会社規定にも依るけれど、おそらくLLCを立ち上げメンバーとなることが難しいのでは、つまりその会社は退職しなければいけないのでは、という点がクリアされていないからだ。前にも書いたけれど長年帰属していた会社との関係を断つというのは、心理的な戸惑いが大きい。それは自分に照らしても明らかで、相応の覚悟、というよりも潜在的な自分自身に納得させるプロセスが必要だ。その仲間の一人が再雇用を中途で辞めるかどうかで逡巡しているのだ。やはり前の会社に居てこその自分の社会的ポジションがあるんだ、なんて言い出したのでしばらくはこのLLC設立は棚上げとなってしまった。もちろん、目論んでいる仕事は再雇用ポジションでは実行できないので、その一人は矛盾した状態にある。だが、本人が自分自身を納得させなければいけない話なので、無理強いすることもできず、LLCの話はしばらくはペンディングとして、見守るしかない。

これからの仕事については、自分のパフォーマンスの時間的減衰、早い話老化なんだが、の具合を考えなきゃいけないと思っている。この時、減衰の具合は指数関数的だろうと思われる。減衰しない、いやリニアに減衰する、という意見もあるだろうが、一般的物理常識からみて指数関数的と考えるのが妥当だろう。つまり、残り生存期間の比較的早い時期にパフォーマンスは急速に減衰するだろうということだ。何かするならば躊躇せずに開始した方がよいだろう、というのを自分としてはモットーとしている。とは言っても、残り生存期間が不明なところが、この議論を曖昧なものにしているのは確かなので、まあそれぞれが好きなようにやればよいのだ。 arw

arw 投資のお話なんですが(2011/12/2)

その後、稼活がどうなったかというと、進展がないと言わざるを得ない。なんてご大層なものでもなくて、所詮定年退職者、そうウマい話があるわけもなく、今ある非常勤の仕事を細々とつなぐしかないだろう、というのが結論だ。そうは言ってもこれから全然駄目ということではないので何か良いことがある、かもしれないし。一方、残りの人生を考えると、働くのも大事だが、それ以上に遊ぶことも大事なので、このところはバイクツーリングにかまけて、稼活どころではないのだった。

だが通帳残高を見ると確実に数字は減っていて、予想した通りの減り方であるとは言っても、あまり気持ちの良いものではない。年寄りが四六時中、カネを気にするのも理解できる。いい加減に惚けてきても、最後まで本人の関心がなくならないのは金(かね)と決まっていて、介護してくれる人に「ワシの財布を盗ったろう」と言うのが惚け老人の定番、という話はよく聞く。

という訳で、残高ページとカードの請求ページを見比べている時に、決まって掛かってくるのが、投資のご案内の電話で、いかがでしょうか、今、手数料ゼロ円キャンペーンをやっていまして、是非ともご検討いただきたい、とか何とか。はあ、そうなんですか、でも手持ちがなくって、いえいえ、ほんの少しの、そうですね、ご主人さまのお小遣い程度で始められるんです。ご紹介するのはFXなんですが、FXご存知ですか。いーえ、よく知らないんですが。この商品はですね、実はここだけの話…、というように、なかなか切ることができない。

確かに電話の主のいうことも一理あって、こんなふうに、体も頭も動かなくなってくると、残りは投資案件くらいで、こっちとしてもそろそろ真面目に考えなきゃいけない。ぐずぐずしていると、投資資金も底をついてくるから。という訳で、実はもう証券会社に口座もあって種銭を置いてある。これをどう運用したら良いのかは、試行錯誤中だ。二三年前に、株の自動売買システムを構築していて、一年程、実際の金は動かさないものの、市場のデータを十分毎に収集して統計的解析を加え、リアルタイムの売買をシミュレートするということをやっていた。結果、手数料を上回る程度の成績は残せたので、このシステムを再開しようかと思っていたのだが、その前に株の売買そのものを実行してみた。

どういう銘柄をターゲットにすべきかと言えば、値が乱高下する銘柄に決まっていて、タイミングよく売買することでサヤを稼げる筈である。当然のことであるが、現在の株式売買というのは、その会社の将来に肩入れした投資行為などではない。株式市場というのは市場でいかに相手を出し抜くかが全て、の場であるといって良い。そのタイムスパンが比較的長い場合に、当該会社の成長や効率などが問題になるのだ。そうなると今のターゲットは勿論オリンパスで、その株の売買を通じて学んだことも多い。

学んだことの一つは、これも良く言われていることのようだが、儲けるのではなく損をしない、というのを第一義の目標とすべきであるということだ。儲けようと思う気持ちは、できるだけ確実に儲けを確保しようとする態度を生むので、決断が遅くなってしまうのだ。その結果、しばしば損失を切ることを躊躇するようになるのである。一方、これを損をしないという方針に置き換えると、大きく儲けるのではなく手数料を上回る益が生じると思われるタイミングで買い、あらかじめ決めておいた期限でこれを売る、という方針を守ることができる。損を生ずる場合があるのを防ぐことはできないが、できるだけ早く損切りすることで、結果として手持ち資金を効率よく回転させることができるのだ。つまり、長い期間、株式として保有していると現金化するチャンスを失って、結局のところ、ただでさえ少ない資金を回転させることができなくなってしまうのだ。

学んだことのもう一つは、タイミングが全てである、ということである。オリンパスの例を取れば、損切りをしなかったせいで手持ちの資金が不十分な状態で、ニュースを見ながらぐずぐずしていたら、あっと言う間にストップ安がストップ高になって、肝心かなめのタイミングを逃してしまった。いくら悔しがってみても全くあとの祭りで、外資系の投資会社がこれで莫大な利益を上げたというニュースを聞いて、自らの思い切りの悪さをひたすら反省しているところだ。とは言うものの、自分で言い乍ら、損切りもできていなくって、現在、自分自身の性根を改造中だ。このあたりが一番勉強になったところだろうか。 arw

arw 新宿ゴールデン街にバーを開店 その1(2012/1/27)

インターネット空間に突き出してあるアンテナに引っかかっきたのが「無銘喫茶」だ。新宿ゴールデン街の一角に一日店長をやらせてくれるという趣味の商売をしている会社があって、これはやらずには置けないだろうということだ。

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新宿明るい花園一番街

何故やらずに置かぬと言うかと云えば、名にしおうゴールデン街、近くの花園神社、花園神社と云えば名前を聞いただけの紅テント、紅テントと云えば観たこともない唐十郎のアングラ演劇で、アングラ演劇と云えば寺山修司で、寺山修司と云えば宇野亜喜良で、どれもこれも遥か辺境の地に住んでいた私からみれば、月ほどにも遠い場所の出来事であって、光も届いてこなければ音も聞こえない匂いもしない、全く五感に感じることのできない何かであった。ただ宇野亜喜良と云えば、この間ポスターハリスギャラリーで原画を眺めて、辺境生まれの自身の運命というものを改めて振り返ってみた。

という訳で、一度はゴールデン街の空気の匂いを嗅いでみたかった。無銘喫茶のオーナー会社にメールして、先日事前説明を受けてきた。想像通り、IT関連の社長が通っていたゴールデン街の店を元のオーナーから買い受けて、趣味の店としてぽつりぽつりとやっていたが、その友達の友達が自分にも一晩やらせてくれというのが、友達の友達の友達あたりになると誰やら分からなくなるので、人物を確認してから店の空いてる日に一日店長の権利を提供しよう、というのが始まりのようだ。

もとより趣味の店、こちらも趣味の一日店長ということで簡単な企画を作ってみた。タイトルはKorio's Wine Bar、原価率が限りなく100%に近いワインにパンとチーズをつまみに、いつ来るかも知れない客に提供しようという、一晩限りの店だ。ハコの提供側からコンセプトを聞かれたので、「60's、70'sを懐かしみつつ、語るバー、ワンコインでワインとおつまみを楽しめる店」というのを出して、2月8日18~26時開店することと相成った。そのうちにWebに掲示されるらしい。

で早速、来てくれそうな知り合いに案内メールを送った。スマホから送った知り合いのリストはすぐに尽きた。友達の少ない私だ。 arw

arw 新宿ゴールデン街にバーを開店 その2(2012/2/9)

ということで、旅行と同じで始まる前も楽しい。あれこれと開店の準備をして、もちろん自分の趣味を客に押し付ける算段で、ワインの種類を決めフードを準備した。ワインはカーヴドリラックスのお勧めセットに、シラーの6本セットを追加した。我ながらかなりの偏りだと思う。

フードはフランスパンとこれに合わせるドライトマト、ゴルゴンゾーラ、ドライのイチジク、ついでにドライデーツも発注してしまった。ドライトマトはオリーブオイル漬けにするので奮発して高めのオリーブオイルも発注。このあたりで、赤字確定だな。パンは駒場のル・ルソールのミニバゲットを注文することにした。

ドライトマトのオリーブオイル漬けは、ドライトマトを水で戻す、熱湯で戻す、そのままオリーブオイルへという三種類があるらしい。水で戻す方法と、熱湯で戻す方法の両方を試してみた。結論から云えば、水で戻す方法がよいと思われる。湯では香りが飛んでしまう気がしたからだ。ただ、水で戻す場合には水に酢を加えた方がよいという。同意したので、ワインビネガーも追加購入してしまった。赤字が積み重なるな。

途中、何日も前に発注したのに受注連絡がないので電話したら引っ越しで休みだったなんていう業者もあったが、まあ予定通りに準備は進んだといってよいだろう。あとはおしぼりだの、店のBGMの配線の具合だの、当日行かなければ確認できないものもあったので、リストを用意した。

開店当日は注文しておいたパンをバイクで取りに行ったり、予め購入していたプラスチックコンテナをこれも購入したカートにしっかり縛り付けられるかを確認したりしたが、さすがにワインボトルを12本も持ち込むとなるとかなり重い。ちょっと重すぎる。これも客は鯨飲するかも知れないという我ながらの偏りであった。

さて、店に着いて家主側の担当者からスイッチの位置だの閉店時の清掃だのゴミ出しだのの細かなレクチャーを受けて開店と相成った。ミネラルウォーターとソーダ、氷も必要で近くのコンビニに買い出しに往復し、カトラリーを確認し、ありフォークが全然ないね、ナイフもないし、スプーンも中途半端のものしかないね。これはもう仕方がない。店内はこれ以上奇麗にしようもないので、持ち込んだ宇野亜喜良展のポスターぐらいは貼りましょう。順調に準備は完了して、後は客を待つだけだね。

バーの止まり木に止まるのは慣れっこであるが、カウンターの反対側に居るというのは新しい体験で、とは言っても今回は知り合いの客ばかりだから、少し感じが違うかなという程度ではあるが。しかし店主であって客ではないというのは、ある意味決定的な違いだ。店の雰囲気は客が創るのだが、それを自分好みに導くという感覚と云えばいいのだろうか。知り合いが連れてきた面識のない客が増えたとき、何か新しい雰囲気ができる、そういう期待が持てるのが店主の楽しみかも知れないと思う。

で、収支だが、カートやコンテナなどの資材は費用に含まないとしたり、ワインは家でも飲むから売り上げた分だけ数えるという甘い計算をしても、3万円を少し切る程度の赤字となった。次回があるかどうかは不明だが、収支から予想すれば、1.5万円くらいの赤字に収められるだろう。独りで金を遣うので確かにこれは、バーの店主の楽しみ、という道楽かも知れない。 arw

arw 新宿ゴールデン街にバーを開店 2回目(2012/3/28)

気ままな道楽だから、別に一度だけでもよいのだが、一度だけだと気合いの入っていない奴だと後ろ指さされるかも知れないので、何でも二度くらいはやってみたほうがよいだろう、というわけで、新宿ゴールデン街に2回目の開店ということにした。前回は1ダースもワインを持ち込んで行き帰りの荷物の重さに音をあげたので、ワインは6本にした。フードもドライトマトとチーズ、デーツだけにしたが、デーツは余分だったかも知れない。

曜日は前回と同じで水曜日とした。開店日を決めておいてからあちこちにメールを打ってみたが、前回ほどの反応はないな。確かに嵌まる人以外は、わざわざ綺麗ともおしゃれとも云えない飲屋街に足を運ぶことはないかも知れない。来るかも知れないお客の飲み物を作るために、アイスとミネラルウォーターと炭酸を近くのコンビニで購入し、グラスを洗い直して並べ、BGMをかけ、カトラリーをチェックしたが、ボウズの予想は払いきれない。

ま、昔からの友人がその友達を連れて来店してくれたので、ボウズは免れたのだったが。 arw

arw 新宿ゴールデン街にバーを開店 3回目(2012/11/13)

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Korio's Wine Bar オープンです。どうぞお入り下さい

バーは2回も開けて、その度に趣味であることを確認させられているのだが、若しかしたら大入り満員になるかも知れないなどと妄想が湧いてきたので、もう一度開くことにした。来てもらえそうな知り合いにメールを打ってみたが、一度来たことのある知り合いや二度までも来てくれた友人の反応もいま一つで、もはやこれまでかという厳しい予想がたった。ま、それも仕方がないので前の通り、酒もつまみも¥500均一として酒とメニューを考えてみた。

ワインは自分の好きなシラーばかりではさすがに客の好みに合わない場合もあるだろうと、南フランスの¥1,600前後のものを赤白取り混ぜて6本発注しておいた。

厳しかろうとは言っても、仮に、本当に仮にだが(笑)、思いもよらない賑やかなバータイムになった時に、つまみが無くなってしまうという事態は避けたいから、5〜10人くらいのお客が来ても大丈夫なようにつまみを考えてみた。つまみは3種類として、ドライ・フルーツを主にしたドライ系、チーズを主としたねっとり系、ハムを主としたがっつり系で行くことにした。うちメインとなるのがチーズ系なので、8人分位とした。8人分くらいというのは曖昧な話だが、原価提供にしても赤字にはならないようと仕入れたからだ。後から考えるとそれでも買い過ぎなのであるが、売れなかったら自分で食べればいいやという甘い見積もりがみえみえだ。で、チーズはブリが360gで¥1,338、タレッジョが400gで¥1,980、丸めて¥4,000にして原価提供にすると8人分であるな。チーズについては客の好みもそれぞれであろうから、ねっとり系ではあるがマイルド系にした。

チーズばかりというわけにも行かないと思われるのでドライ系は、枝付きレーズンと干しイチジクとミックス・ナッツで850g¥2,540だが、これは最初っから自分で食べるつもりだな。で、ガッツリ系はあれこれ考えて、ネットでパテ・ド・カンパーニュの缶詰があるのを見つけた。1缶¥294で、こいつは買ってから初めて食べてみたがバジルと一緒にするとなかなかイケルことがわかった。

ということで、自信満々に開店したのだったが、結果はまたも完敗であった。馴染みにしているカフェのメンバーが一人だけ仕事帰りに寄ってくれたので、ボウズだけは辛くも免れたのだったが。ここで、さらに追い打ちをかけたのが、誰も来ないアルゼンチン・タンゴのかかるうすら寒い店内でぼんやりしていたら目の前を走り過ぎた有害動物で、これはもうハコ自体も駄目だろうと。結局三回開店して三戦全敗。いくら趣味とは云え、客あってのバーなので、これはもう勝つ見込みがない以上続けることは諦めた。今回も赤字は3万円だったな。いや名目上の赤字で実質はショバ代だけだと強弁することも可能だが、強弁であることは間違いない。

今度はカフェやるぜ、って、アタマ大丈夫か? arw

arw ベルクソンを学ぶ(2019/2/3)

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修了証まで貰った

ベルクソンについては、勝手に読んで、勝手にペーパーまで書いたのだが、自分の解釈が適切かどうかを確かめておく必要があるだろう、ということで、KUNILABOなるNPO、(実のところ一ツ橋の社会学のグループが、中心となって開催している、社会人講座なのだ)が2018に開催した中の一つ、ベルクソンを学ぶというタイトルの全4回の講座に参加したのだった。

で、今回は、本拠地の国立で、NPO主催の講演会と2019年度の講座の講習生募集と2018年度講習生への修了証の授与、そして懇親会があって、前年度受講生の参加費は只だというので参加したのだ。全くの理工系で過ごしてきた自分としてもいわゆる人文系の集まりに交わって、人文系とはどういうものであるか、という興味もあったのだ。なので、懇親会まで居残って、缶ビールを開けてきたのだ。

さて、最初は、鵜飼哲講演会とトークセッション「人文学と平和」という主語の大きな講演会で、鵜飼哲と言えば、それなりに知られていて自分も名前だけは知っていた。ジャック・デリダの紹介者だな。話を聞いていると背景が見えてくるのだが、京大出で、フランス留学でデリダの講義に出席して、その後、一ツ橋大学の社会学の教授になって、新左翼の拠点の一つになったのだ。演題の主語が大きすぎるせいもあるのだろうが、講演の論理の組み立てがペラペラに薄くて、以前ならば、そういうこともあり得るのかと納得したのだろうが、昨近の社会学界隈の体たらくを見ていると、なるほど、自分の考えた話をでっち上げるためには、エビデンスなど無関係に、事象を自分の都合の良いようにピックアップするのが社会学者であるなと。おまけに講演後のトークセッションでは、鵜飼氏の弟子の一ツ橋の教授が出てきて、同じようなエビデンス無視の話を繰り広げるものだから、日本の社会学の現状がより広く理解できたのだった。

修了証を恭しく頂いてから、懇親会に潜り込んだ。社会学大学院を出てからの非常勤講師で食べている人々の話を聞くのも、なかなかに面白いかもと思ったからだ。一ツ橋で最後のマルクス経済学者が、この前居なくなったとかという話を聞いて、まだ居たのかと(心の中で)思ったり、彼らが、石炭経済における労働価値説は理解しているが、石油経済以降の労働価値の取り扱いを放棄している話だとか、日本のマルクス研究者がイタリアのマルクス研究者と何かやってるらしいとか、オタクの談義に等しい話をしていて、社会学と哲学の現状の一端を垣間見たのは、価値あるひと時であったと思われる。

というわけで、2019年度にも講座が開講されるので、今年は、ハイデガー哲学の基礎と展開、を受講してみようと、思ったのだった。

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arw 引っ越しーその1(2021/10/2)

いよいよ70の大台に突入し、目が霞むだの、歯が抜けるだの、足腰が弱るだのが現実のものとなってしまった。で、まだ少しは動き回れる内に、撤退戦を開始、いや終活を開始しようかと云うことにした。

まずは先立つ物だな。幸いにして、長年勤めてきた会社からの退職金を企業年金に一部割り当ててきたのだが、あと一年程で終了となる。まあ、利殖とか投資には向かない性格であることが完全に判明したので、幸いにして、と言うのは語弊があるのかも知れないが。

で、この後は、僅かばかりの預貯金と、厚生省からの年金で暮らさねばならぬのだが、まあ、蓄えは多いに越したことはなかろう。と言うことで、まずは引越し作業に手をつけることとした。現在の住居は、まるで自分の体調と歩調を合わせるように、漏水箇所不明の水道料金上乗せやら、洗濯物干し場としているベランダの腐食等々、何とかせねばならぬ箇所が増えてきているのだ。冬は寒いし、そもそも、全部の部屋を活用しているとは言いがたくなったのだ。そこで、

立てた計画は、自宅を売却に出し、夫婦に丁度良いくらいのマンションに引っ越しすると言う案だ。上手くいくなら、売却益を出して老後資金に追加したと言うのも狙ったのだった。ところが、実際に作業を開始するとなかなか大変だ。

まずは連れ合いをその気にさせることだな。これは、本人の目の不具合に引き続いて、歯もしょっちゅう歯医者に世話になることとなって、このままではいけない、と言うことは本人も自覚したようだ。手始めとして、山ほどもある衣類については、本人も断捨離を参考にするなど、その整理に向けて進み出したようだ。

次は、何処に住むか、どんなマンションに住むかと言う問題だな。細かく詰めて行くと、当然ながら問題が発生して、今の自宅を売却するにしても、代金を手にするのは一番最後になるのに対して、引っ越し先の住処は最初に必要になる、つまりその分の購入費用をどうするかと言うことだ。預貯金があるとしても、どう見ても足らないし、引っ越し先への移動が最後になると、自宅売却前後から暫くは別の住居を探さねばならず、引っ越しも一回増えて、都合2回になってしまうのだ。資金調達の話は取り敢えず先送りして、連れ合いの断捨離を応援する、と言うか誘導することを最初の活動にしたのだ。さて、引っ越し先の入手資金はどうしたら良いだろうか。

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arw 引っ越しーその2(2022/2/20)

引っ越しをプロジェクトとして捉えると、幾つものクリティカル・パスがあって、これらを全てクリアしなければならない。しかもクリティカル・パスが作業途中で新たに出現する、なんて事があるのだ。

クリティカル・パス1ー繋ぎ資金ー失敗
引っ越しプロジェクトは、まず金の算段だな。住んでいる家を売って、次の家を買う場合、繋ぎの資金が必要になるのだ。さもなければ、引っ越し先が決まるまで、一時的にどこかに住まなければいけなくなるのだ。まず、繋ぎ資金に、モーゲージが使えるかどうか、長年使っていた三菱東京UFJ銀行に聞いてみた。で、あまり色よい返事が貰えない。そもそもモーゲージに余り経験がないのだと。こりゃダメだなと。それではと、このところ使っている楽天銀行に聞いてみたら、これは直ぐに査定でお断りということで。つまり預貯金が足らないのだな。

クリティカル・パス1ー繋ぎ資金ー探索
それでは餅は餅屋ということで、不動産屋に尋ねてみる。二社ほど相見積もりを取ることにしたら、社内に、不動産を売りに出して、売れなかった時の保証方式が用意されている、これを金利を払って先に借りる事ができる、と言うので、東急リバブルを選択した。このあたり資金のない中小では、取り敢えず売りに出して、売れてから引っ越し先を探さざるを得ないからだ。

クリティカル・パス2ー引っ越し先ー探索
同時に何処に引っ越すかを決めた。先ずは、寒くないことが優先で、これは集合住宅にすることに決まり。次に何処に住むかとなると、寄る年波、いつどうなってもおかしくない、と言うことを考えて、特に夫婦どちらかが先に逝って、残された方が子の面倒になる、少なくとも遠隔地では、面倒をかけてしまうだろう、と言うことで、娘の住む街がよかろうと。

クリティカル・パス2ー引っ越し先ー失敗
最初に手をうったのが、駅そばのマンションだったのだが、物件の不動産屋が、最初の買い手のローンが決まるまで、待ちたいと言い出して、話は流れてしまった。

クリティカル・パス3ー敷地境界ー探索
このあたり、不動産屋と連絡を取り合ったのだが、こちらの売る意思が確かなのを見た不動産屋が、こちらの土地を気にかけ出した。つまり、我が家は旗竿地に建っているので、もし、建て替えることになったら、旗竿の部分の土地の幅が気になると言い出したのだ。このあたり、昔は、道路との接合長さが2mを超えていれば良かったのに、今では、より厳しくなって旗竿の全てで2m以上が必要だと。で、簡単にメジャーで測ってみたら、旗竿地の両側に接する二軒の家との境界になっている、ブロック塀の真ん中でなければいけないようだと。しかも、標識が見つからないと。じゃ、測量士を入れるか、と言う話になった。この辺りから面倒な土地であることが表面化してきたのだな。

クリティカル・パス3ー敷地境界ー探索
先ず、測量士の仮測量でも、やはり塀の真ん中が境界になりそうだと言う結果が出た。じゃどうするかと言えば、両側の隣家の持ち主と筆界了解書を交わさなければならないと言う。で、両側の隣家は住人がどちらも亡くなっていて、継承者を探さなければいけないと。一軒はたまに空家をチェックに来る息子がいるので、話をしたら、まあ良かろうと云う返事。もう一軒は手がかりがなかったのだが、近所の主婦が知っていると云うことで、連絡し、これも了解を得た。

クリティカル・パス3ー敷地境界ー探索
やれやれと思ったら、最初の家の軒の雨樋が、境界を大きくはみ出しているとの報告。筆界了解書に建て替えの時に相談すると云うことで良かろうと、していたら、不動産屋が市の担当者に聞くと、旗竿地の境界に越境があると建て替えは許可できないと、強硬に云うのだと。これでは、建売業社に売れないことになる。またまた面倒な事が起きた。

クリティカル・パス1ー繋ぎ資金ー成功
で、肝心の東急リバブルの買取保証に、審査部が色よい返事をしないと云う話が持ち上がって、これはもう全部仕切り直しかと、思っていたら、不動産屋の営業の伝手で近くの建売業社がそこそこの額でオファーした、と云う。引っ越し先に考えていた街の二番目の候補のマンションが買えて、諸費用も出せるだろうと云うオファーだったので、即諾した。昔、この家を買った価格よりは大分安いのであるが、欲目を出すタイミングではないな、と云う判断をしたのだ。ただし、建売業社には建て替え可能な測量図を出さなければならない。これが新たなクリティカル・パスを招くのだ。

クリティカル・パス3ー敷地境界ー探索
で、この境界と思われるブロック塀からはみ出している雨樋、実はこの家の前々住人の時から、相互の懸案事項となっていたようなのだ。きちんと測量すると、雨樋と瓦がはみ出ていて、屋根がギリギリに境界内にあるようなのだ。これでは住人が居た場合なら、すんなりと了解は得られないな。偶々、住人が夫婦ともに亡くなって、継承者が空家の面倒をみている状況なので、なんとか了解が得られたのだ。

クリティカル・パス4ー私道利用ー探索
で、話はまだ終わらないのだ。旗竿地が道路に接する長さは十分なのだが、実はこの道路、市の清掃車も入って来るのに、未だに私道になっているのだ。私道だと、建て替えのために、私道の掘削があるかも知れないので、地主の了解が必要だと測量士が言い出したのだ。私道部分の標識が足らないので、標識も打ちたいとの希望もあったらしい。ところでこの私道、今は亡くなっている地主が、ワシの目の黒いうちは絶対に市には売らないと言っていた、と云う土地で、今はその娘に当たる人物が所有者となっていると云う。そして、親の言い付けを守っているのだな。これは難しいな。

クリティカル・パス4ー私道利用ー成功
ここは我が女房殿に出張ってもらって、地主を懐柔することにしたのだ。測量士は測量の専門家で、このタイプの地主と折衝するのは、摩擦が起きるだろうし、現にこの開発地に最近できた建売住宅の場合には、一悶着あったのだと云う情報も得ていたのだ。結局のところ、女房殿の立ち回りでなんとかなったのだ。

クリティカル・パス3ー敷地境界ー成功
と云うことで、やっとのことで、敷地境界を示すペグが私道の端に打たれ、何の標識もないブロック塀の上に標識プレートが接着されたのだった。でもまだ雨樋の撤去が残っているのだ。
p.s.
2/24には、測量士が、境界確認書を持ち込んで来て、署名捺印して各2部ずつ4方の相手方に、やはり署名捺印してもらうために、測量士側に返送したのだ。

クリティカル・パス2ー引っ越し先ー成功
この面倒な境界の話と並行して、手付け金のやり取りが不動産屋を介して行われ、契約書も取り交わしたのだった。手付金を機械で数えたら3枚ほど足りなくて、契約取り交わしにやってきたマンション側の不動産屋が青くなったのだが、封筒の中に残っていたのだった。10枚を数えて、そのうち一枚で挟んでいたので、金を封筒から引き出した時、封筒の中に残ってしまったのだな。

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arw 引っ越しーその3(2022/2/23)

引っ越しをプロジェクトとして捉えると、幾つものクリティカル・パスがあって、これらを全てクリアしなければならない。しかもクリティカル・パスが作業途中で新たに出現する、なんて事があるのだ。

クリティカル・パス5ー電話にテレビにネットワーク ー探索
まずは、現在のフレッツ光の契約先の楽天ブロードバンドに連絡して、ルーター類と光ファイバーを外して欲しいとの連絡だな。後で知ったのだが、どのサービス提供者もウェブページに申し込むと、先方から電話が掛かって来る仕組みになっているようだ。 で、現在、光ファイバーに、ネットと固定電話とTVが載っている状態で、固定電話番号を移動できるかどうか、工事を申し込めるかどうかを聞いてみた。二、三日してから携帯に電話があって、まず、楽天ブロードバンドを解約すると、固定電話の移動ができなくなってしますので、固定電話が生きている状態で、引っ越し先のサービス会社と連絡をとる必要があるのだと。戸建住宅から集合住宅に引っ越すと、光TVは無くなるのだと、と云う情報を得て、サジェッション通り、引っ越し先のJCOMに連絡をとることに。

クリティカル・パス5ー電話にテレビにネットワーク ー部分的に成功
で、引っ越し先のマンションには、JCOMが入っていることは不動産屋から情報を得ていたので、連絡してみると、これは直ぐに電話が掛かってきた。で、最初、固定電話の電話番号を持っていけるかを聞いたら、持って行けないのだと。話が違うじゃないか。この件は 後で、NTTに聞くとして、取り敢えず、ネットワークの開設を、引っ越しの翌日、午前中に申し込んだ。値段も相場だったな。ただ、1年間の縛りが入って、契約変更のウィンドウは3、4月なのだと。固定電話は、新規番号をJCOMが発行すると云うことで、契約することにした。

クリティカル・パス5ー電話にテレビにネットワーク ー探索
で、NTTから電話が掛かって来るのを待ちの状態だな。楽天ブロードバンドには、ルーターの返送キットを送付してもらう件と光ファイバーの撤去についてもう一度、連絡しなけりゃならない。 で、NTTから電話が掛かって来るのを待ちの状態だな。電話が掛かって来て、やはり固定電話番号はポータブルにならないとの返事だった。またこの業者、詳しく言うと、フレッツ光に乗っかった、JCOM関係の会社らしくて、話が進んでいるなら了解しました、という事で、NTTがJCOMから仕事を取ってしまおう、という事ではないらしい事が判明した。

クリティカル・パス5ー電話にテレビにネットワーク ー成功
結局わかったのは、各サービス会社がよく分からない事に関しては適当な事を言う、ということだな。で、話を比較することで、概略が分かったので、現在のサービスの終了と、引っ越し先のサービス導入を決定した。

現在のサービスについては、引っ越しの前日の午後に工事屋を予約した。この工事屋に、光ファイバーの撤去とレンタルしていたルーターを持ち帰ってもらうことにした。後は、またしても解約のウィンドウの関係で、契約終了に金が掛かるかも、という話までできた。

引っ越し先のサービスについては、引っ越しの翌日に、光ファイバーの配線とルーターの取り付け、固定電話の接続までをして貰う事となった。この時、同時に契約書にサインするらしい。固定電話は結局のところ、電話局が変わると番号の移動が出来ないらしく、別の番号が割り振られる事となった。2024年辺りにこれまでの電話網がIP化されるので、その時なら、固定電話でも番号がポータブルになるのだろう。引っ越し先のTVの地上波については、どうも配線済みらしい事がわかった。ケーブルTVの番組を見ようとすれば、光ファイバーにTVが乗るらしい。

という事で、取り敢えず、引っ越し前後に最低の作業は終わる事が期待されると。

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arw 引っ越しーその4(2022/3/24)

引っ越しをプロジェクトとして捉えると、幾つものクリティカル・パスがあって、これらを全てクリアしなければならない。しかもクリティカル・パスが作業途中で新たに出現する、なんて事があるのだ。

クリティカル・パス6ー残金の受け取りと支払い ー探索
で、契約自体は終わっているものの、残金を受け取り、支払いをしなけりゃならない。受け取りと支払いは、自分の銀行口座を通すことになる。最初は、ATMの支払い上限値があるので、従来の銀行口座は使えないのかと思っていたら、支払いの上限値があるのはATMだけで、銀行の窓口に直接行けば、上限なしに支払いつまり振込ができるらしいということが分かった。ネット銀行なら、面倒はかなり軽減されるのであるが、取り扱い金額が高くなるにつれ、不動産屋の方は、従来型の銀行の方が良いと言うので、素直に従ったのだ。

クリティカル・パス6ー残金の受け取りと支払い ー受け取り成功
不動産屋に伴われて、不動産屋の事務所の近所の銀行に出かけ、キャッシュ・カードで残金が払い込まれていることを、口座の金額で確かめ、振り込まれていることを確認した。大金が口座にあるのは数十分しかないのだが。

クリティカル・パス6ー残金の受け取りと支払い ー支払い成功
住んでいる家の売却を終了し、登録抹消を司法書士に依頼するのも終了した。次に再度、不動産屋に伴われて、銀行窓口に向かい、最初は銀行印だけで振込と現金引き出しをしようとしたが、持ち込んだ銀行印の印影が違うと、銀行員から言われる。この口座から銀行印と通帳で引き出したことは、この数十年なかったことなので、どれが正しい印影なのか今更分からないな。ならばということでキャッシュカードから振込と現金引き出しを依頼し、成功した。

さて、不動産屋の事務所に戻り、振込が実行されたのを相手側に確認し、別の司法書士にマンションの不動産登録を依頼し、引っ越し先のマンションの鍵を受け取った。元の家の方は引っ越しが数日後であるので、引っ越しの終了した時間に、鍵を不動産屋に手渡すこととしたのだ。ということで、売買取引は完了した。我ながら、この面倒な作業をよくやったな。

で、鍵を受け取ったので、善は急げとばかりに、バイクでマンションに向かい、予約してあったバイク置き場にバイクを停め、自治会加入申し込み書と、定期的な支払いの銀行依頼書、バイク・自転車置き場使用依頼書、ネーム・プレートの作成依頼書を管理人室に提出して来たのだ。

という事で、取り敢えず、引っ越し前後に最低の作業は終わる事が期待されると。

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arw 引っ越しーその5(2022/3/30)

引っ越しをプロジェクトとして捉えると、幾つものクリティカル・パスがあって、これらを全てクリアしなければならない。しかもクリティカル・パスが作業途中で新たに出現する、なんて事があるのだ。

で、これでスムースに引っ越しプロジェクトも終わると思っていたら、甘かった。コンティンジェンシー・プランの発動だな。

コンティンジェンシー・プラン-1 引っ越しが完了しない場合のプラン

始まりは、引っ越し屋から、午後2時以降にやって来るなんて連絡があって、何故に午前中ではないのか、まあ引っ越し会社の都合もあるのだろうと軽く考えていたら、とんでもない事態が発生したのだ。話の始まりは、14時を過ぎ、15時を過ぎ、16時になってもトラックが現れない、という事態となって表面化した。

引っ越し屋からは最初の客の作業が伸びていて、云々という話が来て、それでも現場は自宅の近くだと言うのでのんびりと構えていたのだったが、もうすぐ行きますと言う話が17時となり、18時を過ぎて、19時も回るという体たらく。まあ、それ迄に、どう言うことだと、突っ込んでも相手側の営業はのらりくらりと、蕎麦屋の出前のような返事をするばかりで、それでも流石に、応援部隊が別のトラック2台に分乗して到着し、20時も回る頃、6人体制で始まったのだった。

しかしながら30年分の荷物と家財、半分に近い量は断捨離としたのだが、それでも4t車一杯で、入り切らないのは2t車へと。で、作業員はアリのような行列を作って、トラックに積み込むも、時間は10時半を過ぎ、これでは、今日の夜中を超えても搬入と運び込みは完了しないだろうと。その場の辻褄合わせに精一杯な営業も流石に諦めて、積み込みだけは完了させて、トラックは基地で一晩過ごしたいと。時刻は22時30分を回っていて、こちらには、ホテル代の補填をオファーして来た。

オファーを受けたが、これから自分で予約しなきゃいけない。で、翌日も午後、14時以降にやってくると言う話で、またも午後の現場とするらしい。

コンティンジェンシー・プラン-1の発動

hafhのページに入って、数少ない東京のホテル・プランから、ノーガホテル秋葉原を選択したら、部屋が予約されたとのメールが戻って来たのが11時少し前で、予約もギリギリだったな。

で、秋葉原に降り立ったら、しばらく来ていなかった所為もあって、昭和通りの近くまで行ってしまった、逆の方向じゃないか。回れ右して、中央通りに出れば、昔の風景がところどころで思い出される。そして投宿と。ちょいと日本離れしたホテルで、残念ながら真夜中の時間、バーも終わっていて、コンビニのビールを寝る前に飲むことに。バスタブは無いものの、シャワーが付いているので十分だろうと。

翌日、ホテルから狛江に戻り、旧自宅の鍵を不動産屋に渡し、今度は不動産屋の指図で、業者に不要物の廃棄をしてもらう事に。もちろん費用はこちら持ちだ。そこから、引っ越し先の新宅へ向かうと。

コンティンジェンシー・プラン-2 引っ越しが終了しない場合のプラン

でまたもや、蕎麦屋の出前が始まって、4時どころか、時計は18時半を回っても、トラックは引っ越し先に現れない。すでに5時半頃、管理人から、荷物の運び込みは、午後6時までとするマンションの内規があるのだが、どうなっているのかとの電話が入って、事情を説明し、管理人としては6時までは居るが、それまでには作業を開始して、作業が遅延しているとの状況であるとの弁明なら、何とか許容できるとの話だ。こうなっては、こちらも、引越し屋セールスにはキツく出ることにする。

コンティンジェンシー・プラン-2の発動

トラックを運転している筈のセールス・ドライバの携帯に連絡して、管理人に直ちに謝罪の電話をすることを指示する。次に、セールス・ドライバから管理人に電話して、トラックは何とか6時までには入るようにしたい、その後は、台車などを利用せずに手で荷物を運んで、居住者への迷惑を最小限にする等の作業とする、との内容も管理人に話し、許諾を得ることを指示した。

実際のところ、19時10分前に、セールス・ドライバーと名前だけは立派な営業が独りで運転する、最初のトラックがようやく到着した。

でまたもや応援が遠方から到着すると云う話も、実際にはさみだれ式の展開で、この荷物の量、終わったのが22時半を回っていたのだ。セールス・ドライバーの上司がやって来て、不始末を陳謝するのだが、文書を出すわけでも別のオファーを示すわけでもなく、のらりくらりを繰り返すばかりで、さすがに呆れた。その間も途切れなくダンボール箱の搬入が続いて、最後のあたりは作業員も朦朧として来たのだった。大丈夫かこの会社。

という訳で、入居前にバイクだけでもと持ち込んで、駐車場の予約の話を通していたり、手土産を持って挨拶に行った管理室との付き合いが、コンティンジェンシー・プランの要素を構成することとなって、プロジェクトには、クリティカル・パスのコントロールの他に、コンティンジェンシー・プランは必須であったことが思い出されたのだった。

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arw 引っ越しーその6(2022/4/13)

と云うわけで、引っ越しは済んだものの、役所に出す諸手続きや保険の住所変更届などなどが残っていて、いちいち面倒なのであるが、これは仕方がない。

最初は、転入届を出さなきゃいけない。それでもMyNumber カードがメインとなったので、随分と簡略化されたものだ。MyNumberカード、以前は住基ネットだな、は、国民背番号制の導入だから反対だと言い張って、キャンペーンを張った、新聞やこれに煽られた左巻きの人々によって導入が延びたものの、最終的にはその理念が理解されて、皆が素直に使うようになった訳だな。と云うことで、役所に出かけて申請すれば、転出した市に存在していた、保険や税のデータが、カードにダウンロードされて、住所や電話も記録され、保険証も新しいものが作成されて、手渡され、転入届は完了したのだ。

で、次が運転免許証の住所変更で、近くの警察署に出かけ、MyNumberカードと一緒に運転免許証を出せば、新しい住所が書き加えられて終了。運転免許証が新しくなったので、今度は、転入した地域を管轄する陸運局に行って、バイクのナンバープレートを取り替えなきゃならない。バイクで陸運局に出かけ、住所変更の申請をして、用紙をもらってから、ナンバープレート交付を申請し、その後で、自分でナンバープレートを外し、それを持ち込むと同時に、車検シールを貼り直しても良かったのだが、新しいナンバープレートに、古いナンバープレートからはがした車検証を貼り直すの難しかろうと、新規シールを申請し、新しいナンバープレートと取付ネジを受け取ってから、これにシールを貼り付け、バイクのところに戻って取り付けて完了と。かなり面倒だが仕方がない。

ここまでは、どうしてもシリアルな手続きになっているので、時間がかかるのは仕方がない。仕方のないことばかりなのだ。

あとは、わずかばかりの金額が死んだら出ることになっている、生命保険会社への連絡、バイク屋に任意保険の住所変更を連絡し、聞くと自賠責は、車検の時で良いと云うので、これはそのままと。ついでに調べたら、自転車の損害賠償保険が切れていたので入り直し。これはネットで済んだ。

やっと気持ちにも余裕ができた頃、地元の図書館に出かけて利用券を発行して貰って、これでいつでも利用が可能となった。中世思想原典集成が開架書架に揃っていたので、また読み始めようと。

あとは室内にフックを取り付けたり、書棚の転倒防止の金具の取付だな。転居の前は木造家屋だったから、気にせずに木ネジで止めていたのだが、マンションは、石膏ボードが内装の基本となっているので、アンカーを使わなきゃいけない。近くのホームセンターをググり、バイクで出かけて、Amazonと両用しながら金具を揃え、少しずつ作業を始めたのだ。テレビを壁掛けにする金具はAmazonで見繕って注文したら、次の日に届いて、作業の方が追いつかない。実のところは、追いつかないのは気力で、体力は疾うに追いついていないので、ちびちびと作業を進めるしかないのだ。

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arw 引っ越しのあと整理(2022/6/24)

さて、山のように積んであった、引っ越し段ボールも漸減していったのだが、自分の部屋とした四畳半に、最後の一個が残った。中には、直ぐには使わない、しかし、銀細工の材料やバーナー、薬品などもあって、一纏めに捨て難く、持ってきたものが詰まっているのだ。 これと同じく、道具類を掛けて置くための、厚手ベニヤ一枚物も捨てずに持って来てあって、どちらも始末に負えないことが分かった。で、結論として出したのが、ベニヤ板を切って、本棚を作り、物入れにしようというアイデアだった。


手前が僕ヤバの山田さんのフィギュア

サイズの設計については、文庫本と新書用に作ってあった本棚を持って来てあるので、同じものを作れば良い。そうは言うものの、一戸建てとは違って、作業スペースがもう取れないのだ。あれこれと寝ながら出した結論は、面倒だけれどなんとかなるだろう、というものだった。

で、作業を始めてみる。持ってきた作業台をベランダに出して、この上でベニヤ板を切り出すところから始めた。鋸が錆びていたので、替え刃を島忠で購入と。ああでもないこうでもないと、切断位置を考えながら、やっとのことで部材を切り出すのに、一週間ほども掛けたか。年寄りには一気に仕事を進めるのが困難なのだ。始めは釘打ちで仕上げようと思って、島忠で釘まで買ってきたのであるが、ベランダで、釘打ち作業はハンマーがうるさいのが気になるな。直ぐに木ネジで組み立てることに方針を変更した。ベニヤ板の厚さが8mmなので、細い木ネジをまたもや島忠で調達と。島忠までは、バイクで行けるので、その点の問題はないのだ。

で、下穴を電動ドリルで開けておいて、木ネジで組み立てた。できたら表面をサンドペーパーで仕上げして、プライマーで塗る、なんてことまで考えていたのだが、省略して、直接ペンキを塗ることにしたので、ペンキとハケも購入しておいたのだ。で、白く塗って完成と。

部屋の隅に予定通りぴったりと嵌ったので、転倒防止のネジで壁に固定して完成。で、最後の段ボールから細々した物を取り出して、この本棚に並べて、やっと、最後の段ボールの解体が終わったのだった。

出来上がりの写真も載せたのだが、奥に映るのが新作本棚で、手前が「僕ヤバ」の山田さんのフィギュアだ。僕ヤバは引っ越し後、急にファンになってしまった、「僕の心はヤバイやつ」、略して僕ヤバと呼ばれているコミックだ。ファンになってフィギュアまで購入し、このためのアクリルケースまで発注したのだ。人生の撤退戦を始めると、思わぬものがお気に入りになってしまう例だな。

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arw 引っ越しのあと整理-2(2023/2/13)

無事、引っ越しから一年が過ぎて、生活も概ね順調で、快適と、なかなか結構な日々である。ところが、

現在のネットワークはJCOMのケーブルテレビの回線を使っているのだが、快適とは言いかねる、分かっていた事だが、休日や夜更けになると、ネットがハングしてしまうのだ。ケーブルテレビの配線では、バンド幅が足りなくて、他の誰かが相乗りしてくると、途端に動かなくなってしまうのだ。同じ話は、以前の戸建てにネットを導入した時、最初は既存のJCOMを使っていたが、如何にも速度が出ない、光ファイバーに変更、ってのと同じ話だったな。

で、光ファイバーサービスを提供している会社を比べてみたら、盛んに宣伝しているNURO光に頼んでみようかと、思いついて、連絡してみた。最初は良かったのだな、最初は。まずは、この集合住宅に光ファイバーが届いているかどうかが問題で、NURO光側の調査では、集合住宅の共用部分にまでは、入っているようだと。じゃ引き続き、調査その他をお願いと。

で、一二ヶ月も連絡なしだったのだが、いきなりメールが来て、出来ません、とな。後で管理人に聞いてみたら、調査には来ていたらしいが、諦めたと。つまりは、光ファイバーにするには、電力線に沿わせて配線するのが最適なのだろうが、この集合住宅、各階を貫いて電力線が配線されているのだが、サービスエリアを覗いてみたら、ラダーに電力線が取り付けてある、というような造りではなくて、各階の間は穴を開けてあって、現在はコンクリートで電力線の周りを埋めている、という単純にして原始的な施工がされているのだ。

じゃ、その辺りも出来るのではと、フレッツ光つまりはNTTだな、ここに連絡してみた、するとBIGLOBEから連絡が来て、出来ますと、えらい調子の良い話で、本当ですかと。すると間も無く、WIFIルーターがBIGLOBEから送られてきて、次にNTTから光ファイバー接続の光コンセントを持つ端末が送られて来た。ふーんとね。

で、工事日が決まりましたのでという連絡が来て、その当日となったわけだ。立会の必要はありませんと。ん?そんな簡単な工事なの?そして当日、何の音沙汰もないと。

色々と聞き回って見ると、段々と理解して来た。まずは何故にBIGLOBEかと言えば、NTTはプロバイダ経由でしか光ファイバーサービスをしないのだと。で、BIGLOBEに聞いて見ると、工事と言っても、これはBIGLOBE側でルーターを設定する工事を指しているらしいと。つまりは、この集合住宅に光ファーバーから光コンセントまで設置済みであることを想定しているらしい。

で、最初に調子の良い事を言っていた電話の先、実はBIGLOBEの代理店で、所在が札幌らしい。つまり。この集合住宅の共用部分までは光ファイバーが入っている、というNTTの情報だけを見て、都合よく解釈したようなのだ。つまりは、誰も責任持って、現場を調査するなんて話では全くなかったのだ。BIGLOBE実はNECらしいいい加減さだな。

で、苦情処理窓口になっていると思われる、顧客対応窓口に電話して、使い道のないルーターとDSUの返送を申し込んだのだった。契約以前の話でもあり、窓口の担当者あっさり手配してくれたな。

一週間程経ってから、機器を梱包ごとに返送できる紙袋が送られて来て、これに詰め込み、近くの郵便局に着払いで受け取ってもらったのだった。郵便局がこの集合住宅の目と鼻の先にあったのは良かった。

ただ、室内には、昔の固定電話回線が残っていて、回線を通す直径1cmばかりのパイプがあるので、電話回線を引き抜いて、新たに光ファイバーを通す工事が可能かも知れない。これについては、まずは前例があるのかどうか、管理人室あるいは、管理会社に聞いてみなけりゃならないな。電話回線を用いたルーターも考えられるのだが、残念でした。この地域、5Gからlはまだ外れているのだな。 arw

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